少女3号

作詞/作曲:大森靖子

未発表デモ曲集を聴いていてひっかかったのはこのメロディだった。歌い出しが「愛の讃歌」みたいだし「これやってみたい」と提案。録音は我がSoggy Cheeriosでも使った葬儀屋の地下にあるスタジオ(この時の夕食はピザだった)。ぼくがベースを弾いたり、ムーグ・シンセを3人がかりで廻し弾き、フレッシュなテイクをものにした。曲構成もデモのまま、コードのテンションにも手を入れずに演奏。つまり、交換日記のような作業に見せかけつつ、純度も損なわないというプロデュース。

自分の生まれ年に結成されたバンドTheピーズの「実験4号」が大好きで、自分のなかの縁起の良い数字が3だったから「少女3号」。震災のときに東京に居る意味についてやっぱりすごく考えた、結論、好きな街っていうのは好きな人がいるだけの街だ。故郷の愛媛の人は優しいんだけど、ヌルくて、私にはすごく苦しくて。東京っていうひかりに蛾のように群がる人がすき。あとこの曲をかいたときに単純に男に遊ばれていた。3号っていうか、何股されてたかもよくわからない。遊ばれてることに気づいても、しばらく馬鹿でいてみようかなって、知らない振りしていた。震災があった年の夏だった。何も考えてなかった人たちが急に繊細ぶってる感じに寒気がして、だから私はバカになりたくてしょうがなかった。ちょうど「サマーセール」という、岩淵監督が大森靖子をラブホテル3日監禁までして何も生まれなかったドキュメンタリー映画の撮影もこの時期だった、とにかくとにかく、何かに没頭したかったし頑張りたかったけど何もうまくいかなかった夏だった。だからせめて「この街は悪い街ですよ、あなたはなんでまだこんなところにいるのですか?」っていう天からの問いに対して、「だって好きな人がここにいるから!」みたいな馬鹿さを大事にしたいって思った。まあだからってしょうもない男をそれにあてはめるのはどうなのか?と、でも一度好きになったら情がうまれてなかなか離れづらく、失恋とか使い古しのありきたりな絶望なんかより、音楽とか、花とか、そういう美しいもので満たされたくなって、昔は汚かった左手首にあかい花の刺青をいれた、とにかく強くなりたかった。それから、修行のように毎日毎日ライブをした。綾波レイの「私が死んでも変わりはいるもの」についても、10年くらい考えてて深夜とかに未だに混乱する。笑