山戸結希

大森靖子さんを初めて視たのは、2012年、新宿の映画館の壇上でした。 
その存在を知った瞬間に、身を貫かれるように好きだと、 
同時、この人は、今にも死ぬつもりでやっているという直感に満たされました。 
誰がどう見ても、ひたすらに愛らしく、燃ゆるような才能を秘めた、 
まだまだ光を浴びることを約束された蒼い肉体の内側に、 
自ら、タイムリミットを設けずにはいられないような抗いを、 
一挙一投足から放っていました。 
大学を飛び出したばかりの、東京の街を生きる大森さんがそこにいました。 
同じ街を生きる一人の大学生だった私は、客席から、 
いつかこの街から消えてしまう女の子を好きになるのは、こんなにも胸が破けそうなのだと知りました。

大森さんの創作の、一つ一つを、宝物のように手に取る一方で、 
生の大森さんが放つ、あの大きな抗いを見ると、 
時限爆弾を抱えながら踊るような四肢を見ていると、 
どんな格闘技を見るよりも、スポーツを見るよりも、 
自分の本能に火が灯されるような想いがしました。 

生きるか、死ぬかーー 
それは優しいものではなく、 
だからこそ凝縮された生の匂いが、 
あまりにも甘くて、ずっとそこに留まっていたくなります。 
大森さんの生きている空間にいると。 

だから、録音されたCDを聴くと、 とにかく安堵しました。 
複製芸術によって、 
彼女の死後にも、彼女の音楽がこの街に流れることが約束されるーー 
彼女の作った音源を聴くのが、私は、大好きでした。 
今という刹那を生きる彼女の切れ端に、永遠を求めていました。
生きている彼女は、あまりにも眩しくて、眩しくてーー 

実際に、大森靖子さんは、 
何度も、自分を誠実に殺しながら生きてきた人なのだと、
過去の作品を通しても、思います。 

そして、
「死神」を聴いた時、全ての天地がひっくり返ることになりました。 
ああ、彼女が向かっていたのは、「死人」ではなくて、 
「死神」だったのだ、とーー。 
彼女は、その美しい肉体に何度でも抗いながら、 
魂だけの姿形というものを、予言のように私たちに見せてくれようとしていたのだと、生まれて初めて気付くことができて、
死神様となった彼女に、抱きしめられるような体験を知りました。
歌を聴くということを、遥かに超えて。
私の過去を焼き尽くす人。 
「GIRL’S GIRL」は、 
一瞬前の自分を屍にして、生まれ変わることを許してくれる聖歌です。 
「東京と今日」は、 
私たちの向かい合う君を、何度でも生まれ変わらせ、 
そしてこの街すら、彼女の手によって新しい都市として照らされゆく、生誕の歌です。 

大森靖子さんは、創造の女神だと思います。 
何度でも生まれ変わっては、 
愛媛、高円寺、中野、渋谷、南青山ーー 
姿形を変えながら、やり尽くしたかって、私たちの魂に、責めてくる。 
西陽のように溶けゆく魂を魅せる、彼女自身が。
ああ、もうすぐーー 
どうか、地球の真ん中に生まれられてください。 
「死神」で始まるこのアルバムを聴いたたった今、 
この今には、大森靖子さんを愛すことが怖くありません。 
彼女は大森靖子という魂を以って、 
同じ名前をした、永遠の偶像を産み出すことになるでしょう。

山戸結希(映画監督)