展覧会の絵

作詞/作曲:大森靖子

ノリがスペイシーだし最後までどう決着をつけるかで悩んだ。締切りに間に合わず、業界用に配布された試聴盤にはこれとはまったく違う内容の完成前のテイクが収められてしまって(「Over The Party」もそう)すごく悔しかった。ノイズを重ねつつ、梅津さんを最後に呼んで曲のツボを探り、最高の状態で完成させてようやく浄化できた。

武蔵野美術大学に通っていた。名前が有名な大学ならどこでもよかった、とにかく親が納得する形で東京に来たかった。ものをつくるのが好きだったので、美術予備校に通ってデッサンしまくって、創設したての抜け道みたいな学科を受験し合格した。大学時代、友達がいなかった。大学生になってもまだ、自由に友達とペアをつくって何かしなさいみたいな地獄があって、そういう授業を欠席したり、友達いないから試験とか教室移動とかの情報共有できなかったりで、単位が全然とれなかった。単位足りなくて卒業できないっていう悪夢を未だに月に一度はみる。東京に対してすごい夢希望無限大な感じで上京したから、周りもそういう人だらけだと勝手に思っていて、でも実際そうでもなくて。ハチクロみたいなキャンパスライフあるとか思ってんのか知らねーけど、あんなん実際に居たらまじで目障りだし、美大生ごっこのスタイリッシュ馬鹿ばっかりかよシネとか思ってて、まぁ今考えると、明らかにそんなこと思ってる自分のほうに問題があったんだけど…とにかく毎日絶望していた。音楽に興味があったから軽音サークルのライブをのぞいたら、すげー下手なXのコピバンをやっていて、数人の女の子がそれみてXジャンプしてて、それも2006年に…今でこそコピーすることの大切さもわかるんだけど、なんかその時はコピバンっていうことがすごいショックで、美大って自分で新しいもの作りたい人が集まる場所じゃないの?!コピバンなんだ…みたいな。んで、その新歓にいったら、洋楽好きでーすみたいなチャラい男がもう新入生口説いてて、なんじゃこりゃ!と思って、更にそいつは数ヶ月後「たのしい中央線」っていう雑誌に「女子と男子4人でルームシェア!夢の芸術系キャンパスライフ」みたいなページに載ってて、ヤリ部屋かよ、きっしょ、と思った。しかも私が入ったのは絵を描く学科じゃなかったからか、アトリエでポケモンとかやってるし、勝手にモチーフの石膏像動かすし、人の絵の上にコカコーラ置くし、そういう人がいるのがショックで、もう家で描こうと思って、引きこもりになって一年休学した。グダグダだったけど、勝手に油絵科のアトリエとかみにいって、気になる絵がたくさんあって、絵をみてる時なら不思議と「この人となら友達になれるかもしれない」って思っちゃって、しかも未完成なのに、自分の全てだと思って描いてる絵より全然かっこ良くて。そういう挫折が一番気持ちよかった。私の学科の私のゼミはすごく虐げられていて、大学の奥の奥の奥の一番奥の小さいアトリエがゼミ室で、大学敷地の端っこだから有刺鉄線がはってあって、その向こう側が朝鮮大学校で。私はあまりにも武蔵美が苦手だったから、逃避したくて、有刺鉄線のほうばっかりみてた。夕陽が沈む方角だった。海にいきたいと思った。つーかはやく卒業してーーーと思った。中退したかったけど、親が元教師と公務員だからけっこうかたくて、大学くらいは卒業して顔を立てなきゃなあと思った。歌詞にでてくる玉川上水と自分のアパートは逆方向で、玉川上水の感じはすごく苦手だった、時が止まっちゃってる暗い場所。卒業制作展のとき、私がやってきたのは音楽だからと思って、絵を展示した部屋でうたった。すこしだけ友達ができた。